Eric Satie
エリック・サティー
(Erik Satie, 1868~1925)
父は作曲家、音楽出版 母もEugenie Satie-Barnetsche のペンネームをもつ作曲家であった。
1883年、パリー音楽院に入学したが、彼の性格に合わないので中退し、モンマルトルのカフェーでピアノを弾きながら軽音楽の作曲をしていた。
1890年ごろは、ドビュッシーとも交り、いくらか影響を与えたようである。
やがて進歩的な文化サークルに接触するようになり、学力の不足を感じて、40歳で、スコラ・カントルムに入学。ダンデイやルーセルに作曲法、対位法を学んだ。
4年後卒業するや、人の意表をついたような標題のピアノ曲等を、つぎつぎに出版。
「冷たい小曲」(Pieces froides)
「馬の衣裳で」(En habit de cheval)
「干からびた胎児」(Embryons desechee)
はその一例である。
のちジヤン・コクトーと交わり、六人組などの若い作曲家の中心となって、アルキュイユ派(Arcueil)といわれていた。
彼はドビュッシー、ラヴェルの巨像の蔭に覆われているが、フランス近代および、現代音楽の原動力をなした作曲家であった。