Impressionism in Music

印象派音楽と近代音楽の意義

1. 印 象 派 音 楽

ドイツ・ロマン派音楽は、北欧、南欧において国民楽派を誘導したが、フランスには、ドイツの正統音楽を育成しようとする国民音楽協会のほかに、反ロマン、反ヴァグネリズムの旗じるしを掲げた、一種の民族主義的な運動が起った。これは北欧、南欧の国民楽派のような懐古的民族主義ではなくて、当時フランスの美術界や、文学界を風靡していた印象主義、象徴主義を音楽へ導入した、新しい文芸運動であった。

この運動の主唱者はドビュッシーであり、当時この楽派は印象派とよばれた。その時期は、彼がマラルメやヴェルレーヌとの交友がはじまった1890年から彼の病死までの二十数年間と見ることができる。

印象派音楽が短期間に限られたのは、その当時のあらゆる作曲家に影響して、新ロマン派、新古典派の新しい分野が作られるようになり、印象派という特定の性格が失われたことによる。

これはドビュッシーの技法には、形式的発展性がなかったからでもある。

ドビュッシー
「展開するのは、語るものが、もうないからだ!!」

ドイツ古典派、ドイツ・ロマン派は、七音音階による

調性、三度和声を基調としてきたのであるが、ドビュッシーにいたって、この金科玉条が破られ、ピアノ鍵盤の上に作られる、あらゆる和音構成が試みられた。

歴史学者は、これを「近代音楽」への転機としている。

近代音楽(modern music)は、

音楽史では現代音楽(contemporaly music)と区別される。

ともかくも、印象派音楽の出現によつて、バッハ、ベートーヴェン以来の音楽の様相は一変して、「近代音楽」の時代にはいった。